3/26 伊勢鉄道・キャラ列車に乗車

イメージ 1

こんばんは。
今日の鈴鹿は文字通りすっきりしない天気でした。朝のとある“時計”のニュース番組や、朝のとある“天の達”のニュース番組によると「お花見日和」みたいな事を言っていたんですけどね… あ、僕の家は朝のとある“雲”のニュース番組派じゃないんで。

くだらない話はここまでにして本題へ。
最初にお断りしますが、今回の記事は過去以上に写真&記事多めです。その分読み応えのある内容にしたつもりなので、ご承知の上お楽しみ下さい。

桑名の友達と無事合流して、今からキャラクター列車に乗車します。Top写真と、下の写真がそれに該当します。

イメージ 14

【キャラクター列車に乗車】
沿線自治体のご当地キャラが列車に乗り込み、一緒に会場最寄駅・玉垣まで向かうという子供ウケ抜群な企画です。四日市発、津発の2本が設定され、それぞれ違うキャラクターが2人(?)ずつ乗車します。

イメージ 2

今回は四日市発に乗車。旅のお供の1人目は四日市市ご当地キャラ「こにゅうどうくん」です。

遡ること江戸時代、人に化けて悪さばかりするタヌキを懲らしめるために作られたのが「大入道」という人形です。それをモチーフにして誕生した彼は、とんてきやコンビナート夜景など四日市名物が大好きな「永遠の」6歳とのこと。チャームポイントの長い舌を触りながら願い事をすると、その物事が伸びる(良くなる)そうです。

イメージ 3

列車は臨時で2両編成での運転でした。伊勢鉄道保有するこのイセⅢ形気動車は、定期運用ではこういった増結運転が無く、前例で言えばF1などの多客時輸送のときに行われているのみです。F1のときは貫通帆が付けられ、行き来できるようになるらしいですが、今回は無しでした。

あ、あと車掌氏…というより扉扱いだけですが、そういった方も乗車されていました。全列車ワンマン運転の中でのこれも珍しいかと。

イメージ 4

四日市を発車し、南四日市、河原田に停車。ここから伊勢鉄道線です。河原田の次の鈴鹿からは2人目、鈴鹿市ご当地キャラ「ベルディ」が乗車します。

「鈴(bell ベル)」を付けた「鹿(deer ディア)」、市名と英語から名付けられたベルディ。なんと生みの親はあの手塚治虫さんなのだから驚きです。身体のスカイブルーは誠実な心と未来への飛躍を表しているそうです。

イメージ 5

あ、そうそう。ご当地キャラとは言えぬいぐるみはぬいぐるみ。小さなワンマンカーに入るのかと思われそうですが、こにゅうどうくんは律儀に着席していました。車内はロングとクロスのセミクロスで、これまた風情あるというか何というか…

余談ですがこのセミクロス、短編成車両にありがちなスタイルかと思いきや、阪神8000系東武6050系西鉄3000系、もっと近くだと名鉄6000系などがそうでした。大手私鉄にとっても運用において都合がいいですもんね。

イメージ 6

2両編成だからか、このイベント自体が周知されていなかったのか、思ったより混雑せずに玉垣に到着。列車は津まで運転されますが、ご当地キャラはここで下車します。ちょうど反対側には津発が到着。こちらは1両編成での運転だったらしく、車内は混んでいた模様。

イメージ 7

津発の列車から最初に出てきたのは、津市のご当地キャラ「ゴーちゃん」です。傘を持っていますが、気にしてはいけませんよ。

こちらも遡ること戦国時代、信長の弟・信包に預けられ、幼少期は伊勢上野城安濃津城(どちらも津市)で過ごしたと言われている「江姫」をモチーフにして誕生しました。趣味は乗馬、特技はダンス、好きなものはお菓子と、結構やんちゃな女の子です。

ですが武家心もあるのか、好きな言葉は「おのれを信じ、おのれの思うまま存分に生きよ」。名言と言えば名言ですけど、なかなかそういう訳にもいかないのが現代です…

イメージ 8

続いて出てきたのは、こちらも津市のご当地キャラ「シロモチくん」です。

同じく戦国時代、津藩(現在の津市)主の藤堂高虎公が店の餅をつまみ食いしてしまったものの、その店主が笑って許してくれたそうな。その感謝を忘れないように旗印を「白い三つ丸餅」にした、姿はここに由来します。名前は兵士を励ます際に使われた「城持ち(=城を持って帰れるように頑張ろう)」に由来。

見た目が餅だけに、上から粒あんこしあん、津名物のイチゴ大福で出来ているという噂があるそうです。

イメージ 9

津発はそのまま発車していきましたが、四日市発はここで列車の切り離し作業が行われます。JRお得意の「気動車解結」に似ているだけあって、このようにギャラリーは多数。既に近鉄JR東海で見慣れているからか、遅く感じたのは内緒です…

前1両は津行きですが、後ろ1両はキャラクターの待機場所になりました。玉垣は1面2線なので狭いため、一旦車内に押し込めようという魂胆でしょうかね…じゃなくて、跨線橋の階段が登れないためにそのまま車庫に入る形でイベント会場入りさせようとしたんだと思います。

イメージ 10

玉垣到着が9時頃、イベント開始が10時なので、このまま終点・津まで乗り通すことにします。ワンマン運転お決まりの運賃表示器には、素っ気なく一文字「津」が表示されていました。今更なのですが、四日市~河原田はJR線なのできっちり別運賃を払いましたよ。

イメージ 11

津に到着したものの、折り返し時間は9分なのでそのまま乗車。同行させて頂いた近鉄さんさんは「津まで近鉄以外で来たのは今日が初めて」とのこと。桑名から津を考えると、自然に近鉄になるのは不思議でない話ですね…

その「並行した路線」に関連したのが新幹線の並行在来線問題です。北陸新幹線の開業が2046年と大幅に遅い理由の1つに、沿線自治体の負担が大きすぎることが懸念されているとか。

伊勢鉄道も同じような立場、状況ですが、こうやって30周年を迎えられたということはそれだけ見守られていたという事です。もしかしたら、大手から切り離された時に初めて「地元愛」を感じるものかもしれません。あ、あくまで個人の主観です。

イメージ 12

キハ25(M114)
奥には亀山に向かおうとしているキハ25が、またどこかでやらかしたのか遅れて到着。こいつとの接続待ちでこちらも延発する羽目になりました。

最近知ったのですが、JR東海からは姿を消したキハ40、全国を見渡すとあちこちで活躍しているんですね。JR北海道では主役と化してますし、JR東日本ではジョイフルトレイン化がすごいですし、JR西日本、四国、九州でも活躍中…どうやら淘汰したのはJR東海だけのようです…

イメージ 13

キハ40を回想していると、真の目的地・玉垣に到着しました。跨線橋からその姿をお見送りします。コトコト走る地方ローカル、それもまた鉄道ファンの心を揺るがす何かがありそうです。

はいお疲れ様でした笑
最後まで読んで頂いた方、本当にありがとうございます。事細やかに1記事にするとえげつない事になることを身を持って知ってしまいました… 

次回からイベントの様子をお伝えします。
ありがとうございました。