9/28 放課後の川原町散策 Part3

こんばんは。
恨めるほど華麗に通過した台風24号のおかげで今日は平常通り学校があった管理人ですが、紀勢本線は亀山~新宮において線路点検の影響で朝から運転を見合わせていたようで、ちらほらと「登校できない」と嘆く人も… 安全のためなら仕方無しですかね…
 
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2610系(X27)+?

さてさて、前回の踏切からさらに北へ。これまた住宅街が織り成す綺麗なカーブを見つけたものの、内側に障害物が多いようでもう少し引いて撮ったほうが良さそうです。まあ影落ちが無いだけマシですかね笑

このX27編成は他の車両とは違い、2015年12月に黒を基調とした車内へと一新されたことで知られていますね。特に優先席に設置されたスタンションポールは当時の名古屋線にとっては画期的なもので、現在では2000系リニューアル車に受け継がれたように感じますな。

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12200系(N)+22000系(AL)

NS編成とASリニューアル編成の6両をよく見かけるかと思いきや、まさかのその逆編成も走っていたとは… 12200系4両(NS)編成はともかく、2両(N)編成は3両しか現存していない、かつ最近は京奈特急に入っていたそうなのでここで会えてラッキーでした。

余談ですが、管理人がここで撮っていると1歳の男の子とそのお母さんと思わしき方がやって来ました。電車…というよりは踏切が好きなようで「そっちか~い!」とツッこんだりと、楽しいひと時を過ごさせて頂きました。

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川原町を出てぴったり1時間、何だか昔の関西私鉄を思い起こさせるような三角駅舎が特徴的な、隣駅の阿倉川に到着しました。ここから近鉄長島までは桑名駅長の管理下にあるので、それほど鈴鹿から遠くなったんでしょうね笑

この「阿倉川」という地名、元は「海蔵(あくら)」と呼ばれる収穫物の貯蔵穴に由来するそうですが、いつしか川の名として「海蔵(かいぞう)」川と呼ばれるようになったそうな。本来の読みは「阿倉川」と別の漢字が当てられ、実在する川ではなく単なる地名として現在に至ります。

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この駅は1971年に四日市の高架化工事に際し待避線を備えた2面4線に変更され、工事完了後も急行停車駅の富田で列車退避が行えない関係で平日朝ラッシュ時を中心に急行・特急の退避が行われてきました。

しかし2018年3月のダイヤ変更で、待避駅を四日市や川越富州原に分散する形で阿倉川待避線を使用する列車が消滅。ついには新たに番線を振り直して元1・4番ホームは柵で閉鎖、線路も分断され、2面4線の歴史に幕を下ろしました。

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1259系(VC68)

二度と電車が通ることがない、というかぶった切られた線路を横目に四日市行き準急が入線。確かにこんな所で待つくらいなら、3駅前でやり過ごすか1駅先まで逃げ切ったほうが手っ取り早い気もしますね笑

川原町から阿倉川までの1.1kmを完歩しましたが、天気が良いもんですからもうちょい歩いてみることにします。

次回に続きます。
ありがとうございました。