9/28 放課後の川原町散策 Part4

こんばんは。
管理人の学校でもうすぐ迫ってくるのが体育祭です。うちの学校は組ごとで団を作る(つまり「1組団」なら1‐1・2‐1・3‐1で構成される)縦割り団方式なので、高2の管理人にとっては真ん中ポジションか…と思ったり思わなかったり。

さて本題へ。
題名は堂々と「川原町散策」とか言うてますが、既に1駅先の阿倉川に到達しているので若干詐欺要素があるのは勘弁してください。

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2800系(AX11)+1233系(VC47)

前回にて川原町~阿倉川を完歩しましたが、そのまま駅を越えて更に北へ進みます。近鉄名古屋線ファンなら「阿倉川」と聞くと例のコンクリートトンネルを思い浮かべる方もいらっしゃるのではないでしょうか。

奥にちらっと写っているAX11編成は以前まで紫のめい姫ラッピングが施されていた車両ですね。終了期間を過ぎてもしぶとく走り続けたもんですからファンをビックリさせたものの、最近では9月中に終わるはずのアーバンライナー70周年ラッピングがまだまだ走っているそうな。なかなかのルーズっぷり…笑

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21000系(UL03)

有名ポイントに来たはいいものの、ここってどう撮るのがベストなんでしょうかね。1枚目みたいにトンネルを主役にしたり、この写真みたいに車両を真ん中に置いてみたりと試行錯誤してみるも、正解が分かりませんなこりゃ。

ちなみに津でこのULに接続する名伊特急はビスタEXこと30000系の単独、しかも原色というわりかし貴重な列車が通過していったんですよ。一応撮ったは撮ったんですが、何だか微妙なので割愛させて頂きます、残念…

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それはともかくトンネルの上は公園ないし更地になっていまして、実際に上がることができます。だらだらと説明するのもあれなんでざっくり説明しますと、ここら一帯はかの昔、小牧・長久手合戦で羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)が陣を置いたとされる羽津(はづ)城の跡なんだとか。写真後ろには石碑(?)もありました。

何でまたこんな絶妙な場所に線路を敷いたのか当時の近鉄(いやこの頃は伊勢鉄道かな)に尋ねたいものの、まあ世の中に目を向ければ両端を他社に絞られている名古屋の路線や、ホームにクスノキが突き刺さっている大阪の駅もあるんだからこんなもんはまだまだ序の口ですかね笑

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2050系(RC51)

さらっと霞ヶ浦駅舎をスルーしてそのまま有名撮影ポイント…の反対側へ。ここに来るのは2回目でして、画像検索でわんさか出てくるようなあの構図で撮りたかったもののこの時間は側面が死んでいるので草をかき分けここにやって来たわけです。

初回訪問記(もはや宣伝はお決まり)

午後の下り名四急行は四日市到着後はそのまま湯の山線運用に入るはずなんですが、やって来たのはワンマン非対応の2050系。運用面に関してはにわか以下の知識力なので何があったのかよく分かりません。

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22000系(AS)+12200系(NS39)

ついでなので最近になって拝めるようになってしまった2+4の鳥羽行き特急も載っけておきます。奥に写るようにこの区間は離合が多いようで、既に2回被られてますからね笑

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そして阿倉川から歩いて1時間20分、川原町からだと実に2時間半くらい掛けて2駅先の霞ヶ浦にたどり着きました。近く(と言っても徒歩30分ですが笑)に四日市競輪場を含む霞ヶ浦緑地公園があるため、競輪開催時には急行が臨時停車したこともあるそうな。

ここから更に関西本線の富田浜まで歩こうとしましたが、さすがに疲れてきたのでここから乗車して帰路に着きました。たまには沿線をてくてく歩いていくのも悪くないな…と思った散策でした笑

それではこの辺で。
ありがとうございました。